夫が小学校教員を辞めました。

夫が10年間続けた小学校教員を辞めました。実際のあれこれを綴ります。

【退職】夫が小学校教員を退職すると決め、退職し、その後次の仕事が見つかるまで


こんばんは。miharuです。

夫が小学校教員を辞めるという決断をしてから、辞めるまで、また辞めたあとの手続等についてまとめています。

【2021年秋頃~】辞めるという決断に至るまで

夫は、秋頃に管理職との自己申告面談で

「来年度辞めるって言った!」となぜか、来年度辞める宣言をしたと言っていました。

今年度辞めるなら言うのわかるけど、来年度辞めるとか言わないでしょ!

と突っ込みましたが、この時はまさか本当にその年度で辞めると思いませんでした。

夫が辞めると決意したのは、

某転職サイトに登録し、そこで「教員向けの転職セミナー」をオンラインで受けたあとだったように思います。

転職サイトにいくつも登録し、担当者とオンラインで面談していました。

後から思えば、この時点で退職はほとんど決めていたようです。

転職サイトのエージェントに言われた

「転職は2,3か月が勝負」

という言葉を信じていたようで、12月頃から本格的に転職活動を始めていました。

年末まで面接に行っていたと思います。

 

結局数十社エントリーして、書類選考を通過して面接まで行ったのは指で数えられるくらいでした。

 

【2022年1月頃】退職を管理職へ報告

1社内定をもらえそうになり、自信がついたのか、1月に入り、

「管理職に辞めると言った!」

と夫は言いました。

管理職に、

「来年て言ってたじゃん!」

と言われ、かなり引き留められたとのこと。

それはそうですですよね。私も同じ気持ちでした(笑)

もう次年度の担任する学年まで大体決まっていたそうです。

そして私も覚悟を決めました。

【2022年2月頃】転職活動を継続

転職活動を継続していましたが、なかなか希望する仕事が決まらず、

面接の予定があったにもかかわらず、直前で会社側からキャンセルされることもありました。

営業経験がないこと年齢的に厳しかったこと

が理由ではないかとのことでした。

【2022年3月末】退職日になっても次の仕事は決まらず

3月31日になっても、4月1日から就職する会社は結局決まらず、

無職になることが決まりました。

就活については長いのでまた今度書こうと思います。

数社内定はもらえそうだったものの、

会社をかなりえり好みしていたので、

結局どこにも決まりませんでした。

決まった企業も蹴りました。

そんな中で31日、職場の歓送迎会にもちゃんと参加していました。

私としては、どこかに会社員としてちゃんと就職してほしかったのですが、

もうあきらめていたので、とりあえず

「明日市役所に行って、年金の手続きをしてきなさい」

と命じました。(笑)

年金は1年分一括払いにして17万円くらいだったと思います。

子どもたちの扶養は私へ変更し、夫は共済組合の任意継続組合員として

2年間は健康保険を継続できるということで、

一括で40数万円支払いました。

会社員であれば会社が折半して社会保険料を支払ってくれるため、

雇われているって本当にありがたいことだなと今更ながらに感じていました。

【2022年4月頃】非常勤教員の仕事が運よく決まる

夫が無職であると、子どもたちが保育所を退所になってしまう恐れがあったので、

とにかくバイトでもしてほしいと伝えました。

心を病んでしまったわけでもなく通院もしていないので診断書もおりず、

とにかく決められた条件である就労の「最低時間(月60時間以上)」を満たしてもらう必要がありました。

そこで見つけてきたのが、自治体の講師登録です。

運よく中学校の非常勤講師に1人空きがあるということで、

とんとん拍子にきまり、4月中旬から勤務開始しています。

夫は小学校教諭免許(2種)とともに、保健体育の専修免許(中高)を所持していたため、自分の専門である体育で働けることになりました。

(ちなみに教員の仕事に就くことは当初かなり嫌煙していましたが、体育であったことから前向きに受けたようです。)

非常勤教員はもともと募集数も少なく、募集が出ても人気ですぐに埋まってしまうとのことでしたが、たまたま4月になって1名キャンセルがあり、運よくその枠に入ることができました。

様々検討した結果、会社員になることはやめ、自分のやりたいことで起業するという方向へ向かっていたので、非常勤教員として短時間働き、必要最低限の収入を得るという目的で、現在も非常勤講師を続けています。

 

まとめ

退職を決めてから、次の非常勤教員という仕事が見つかるまで、このような経緯がありました。非常勤講師になることができたのは、本当にタイミングがよかっただけなのだと思います。

また、現在は空き時間を利用して、スポーツ関係の起業準備を進めており、徐々にではありますが始動しています。

事業を進めることが難しければ、3年をめどに教員に戻ると言っているので、今後3年間でどうなるか見守っていただければと思います。